はじめてJUMPのDVDを買って、見て、完全に戻れなくなってしまった日から、 今日でちょうど1年になるようで。
何度思い返しても、なぜそんな急にJUMPが気になったのかはわからない。
それでも、私を含め、人はそれをきっと、運命だとか必然だとかきれいに浄化する。
多分これが、いちばん幸せになれる解釈だとさえ思える。
熱しやすく冷めやすい私が、コンテンツを好きでい続ける自信はない。
たいてい、1年は持つ。2年目もきっと何とかなる。
ただ、3年目に関しては全く分からない。3年目でバッサリ切ったものともう好きで4年を超えるものだってある。ツイッターは6年目だよ。絵を描くのはずっと長い。そんなもの。
JUMPを好きな今この瞬間が、少しでも長い夢を見させてくれることだけを願うことしかできないけれど、それくらいがちょうどいい気がする。
永遠がないのは百も承知で、永遠を信じて、永遠におぼれたままでいるのもいいけれど、
刹那的ともいえるHey!Say!JUMPは、それはそれで一興。
今年、たくさんのアイドルの卒業だったり、目をつむりたくなるようなことがあって。
つい最近だって、活動休止とか、そんな大変なことばっかりで。
毎月毎月不安だらけだった気もするけれど、それ以上に貰った幸せは大きくて、
ただひたすらに、Hey!Say!JUMPでいてくれることへの当たり前の信頼が寄せられることを、今一度感謝したい。
アイドル、はすきだったけれど、いまはもっとすきで。
“永遠のアイドル”しか見てこなかった私に、新しいアイドルを教えてくれたのが、
Hey!Say!JUMPで本当に良かった。
テレビでお得意のあざとさも、
雑誌で切り取られた美しさも、
ブログでのぞかせるサービス精神も、
コンサートで魅せるその笑顔も、
全部が全部特効薬で、
荒んだ毎日のおともに、JUMPがいることの小さな幸せが今の私に必要不可欠となっているわけでして。
ありがとう、とか大好き、だとか陳腐な言葉でしか紡げないけれども、
この一年間ずっとそのアイドルの存在に救われてきました。
本当にありがとうございます。大好きです。
いつかアイドルでなくなるその瞬間まで、
魔法が解けるその時間まで、
ずっとずっと輝いて、たくさんの人にとってアトラクションであってほしい。
(JUMPっぽいなとおもったスクショです)